手当をしなくてもよろしい「たまごっち」

20代以上の若者にとって、発達天王山である「たまごっち」は思い出深いものではないだろうか。
その「たまごっち」がいま話題になっており、その理由はというと「世話をしないと死ぬ」という取り付けがなくなっているから。
「たまごっち」と言えば、とにかくこまめに手当をしてやり、多少なりとも手を抜いてしまえば死んでしまうというペットを飼う感じように扱う必要があった。
そうして、そこから自分が任務をもって育てるという良心をもつからこそ、精一杯育てたたまごっちがものすごく成長していくことに魅力が感じられるものではなかっただろうか。
それが世話をしないでも死なないのであれば、それはもう一度「たまごっち」ではないような気がする。だって、その天王山の出所をなしているパーツが壊れているから。
勝手に育っていく人物に思い入れも何も乏しい。そこには魅力も悲しみも弱いのだ。
なぜ、こうしたやり方へと変更してしまったのか。むかし、必死になって「たまごっち」をレクリエーションしていた僕としてはヒアリングである。ハゲの育毛に命を掛けています